毎年12月に入ると、そろそろ年賀状を書かなければ と考える。 早い人では、年賀はがきを入手した11月から始める人もいる。 年賀状は、“謹賀新年”、“新年の挨拶”、“干支の絵”など決まったパターンの組み合わせであるが、それでも作る段になると今年のデザインをどうしようかなどと迷ってしまう。 文献によると、年賀状は、平安時代に貴族の間で新春の歌を詠んでやりとりしたことが始まりだという。江戸時代には、武士や商人などが遠くの親戚や知人に年始の書簡を送る風習があったらしい。現在の年賀状は、明治時代に発行された官製はがきが年頭の挨拶に使われるようになり、更に昭和の「お年玉つき年賀はがき」へと変遷してきたものである。 平安の昔から、年賀状作りにはかなり苦労してきたのではないかと想像される。 枚数が多ければ、それだけ作るのに苦労する年賀状ではあるが、頂いた年賀状を、元旦に見るのは本当に楽しいものである。特に、何年も会っていない旧い友人や知人の年賀状を見ていると、昔のことが思い出され、又会ってみたいものだなどと考えたりする。 もう4年程前になるが、定年の年は、第2の人生に踏み出す節目の年であっただけに、普段の年にも増して旧友にもう一度会ってみたい想いが強まった。 * 学生時代の友人の年賀状には、次のように書いてあった。 「今年で定年ですが、これからどうしますか」 学生時代の友人達は故郷の東北か、或いは首都圏に住まいしている人が多く、社会人となって大阪に来てからは殆ど会う機会が無かった。年賀状を見ている内に、長年ご無沙汰ばかりの友人達に再会したいとの想いが強くなった。 そこで、故郷や首都圏で開催されるクラス会や同窓会にも努めて足を運び、出席することにした。会ってみれば、かつては紅顔の美少年であった友人達が年輪を重ねて好々爺となり、直ぐには顔が思い出せない人もいたが、話しだせば昔に還り懐かしさ一入(ひとしお)であった。 * 職場の大先輩の年賀状には、手書きで書き添えてあった。 「定年で暇になったら、1度遊びに来て下さい」 直ぐに、お宅へお邪魔しようとも思った。しかし、他の先輩達にも会ってみたいと考え、“2人で会うのも良いのですが、OB会を作って皆で会いませんか”とメールした。程なく電話を頂き、大賛成とのことだった。 準備を重ねて、翌年OB会を発足する運びとなった。それ以降、毎年5月には旧い職場の仲間たちが集まるようになり、美味しい酒を酌み交わしながら近況や現役時代の思い出話等を楽しむようになった。
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