6月下旬、初夏の韓国路を、バスで古代から現代に至る韓国の歴史を訪ねる旅をしてきた。 韓国は日本と時差が無く、しかも日本語も円も通じるとの事なので、今回は国内旅行の気分で通すことにした。
関西国際空港をアシアナ航空(ANA)で11:50に出発、1時間半のフライトで釜山の空港に到着。 現地ガイドが待っており、一緒にバスで慶州の石窟庵 石窟へ行く。 石窟庵 石窟 は、8世紀 新羅王朝時代に花崗岩で作られた白い石仏である。 韓国の国宝であり、世界遺産に登録されている。 次に、新羅王朝時代に建立された仏国寺へ行く。 建築物は全て韓国の国宝に指定されており、特に石の階段が世界遺産に登録されていた。 境内には、赤いツツジが咲いていた。 約1時間半歩く見学コースである。 ![]() (世界遺産の仏国寺の石の階段) 仏国寺を見学の後、途中のレストランで “壷漬け豚カルピ” の夕食をとった。 夕食メニューの韓国製キムチは、初体験であり、辛くて食べられず水で洗って辛子を除いて食べた。 行儀が悪い食べ方であるが、旅行中同じスタイルを続けた。 20:00、宿泊する慶州のホテル(KYONGJU HILTON)に到着。
7:30、バスでホテルを出発、朝食後、慶州歴史地区の観光へ。 新羅王朝の歴代王の陵墓群である世界遺産 古墳公園、天馬塚を見学する。 ![]() (新羅王朝の歴代王の陵墓群) 近畿地区に点在する樹木に覆われた日本の古墳・天皇陵とは、大分 形が異なっていた。 途中、韓国慶州特産の紫水晶の店に寄る。 昼食後、伽揶山国立公園の海印寺へ。 約1時間山道を歩く。 海印寺の蔵経板殿は、13世紀に作られた高麗大蔵経板8万余枚が保管されており、世界文化遺産となっていた。 ![]() (伽揶山海印寺) 海印寺の見学を2時過ぎに終えて、慶尚南道から400kmの道程を一路北を目指してソウルへ。 車窓から見える景色は、稲田も木々の緑も日本と同じであり、違和感が無かった。 車は左ハンドルで、殆どが現代(ヒュンダイ)自動車製だった。 輸入税が高額のため外国車は少ないとのことである。 ソウルに近付くにつれ、酷い混み様であったがバス専用路線のお陰でスムーズに進んだ。 夕方17:00、ソウル郊外の世界遺産 水原の華城に到着。 約40分見学する。 水原の華城は朝鮮王朝時代の城郭であり、18世紀朝鮮王朝第22代正祖大王により建設された。 ![]() (水原の華城の城郭) 夕食後、20:00にソウル市内のホテル(NOVOTEL AMBASSADOR KANGNAM)へ。 朝食・昼食・夕食は、カルピ湯・キムチチゲ・プルコギ焼肉であり、今日もキムチの辛さが際立っていた。
7:30、バスでホテルを出発、朝食後、ソウル市内観光へ。 15世紀に建てられた朝鮮王朝の宮殿 世界遺産 昌徳宮を一時間半 見学。 日本からのツアー客で混雑していた。 ![]() (昌徳宮の大造殿−王の寝室) 次に、ソウル城郭 北岳山へ。 ソウル城郭は北岳山の他4つの山を結ぶ18.9kmのソウルを囲む城壁で、14世紀に建設されたものである。 約1時間の山歩きであった。 今も韓国軍が警備しており、入場するのにパスポートの提示を求められた。 夕方、国立古宮博物館へ。 朝鮮王朝と大韓帝国の王室文化遺物が収集保存されていた。 約一時間見学した。 夕食後、韓国ミュージカル観劇の前に、眼鏡とファッションの街 明洞(ミョンドン)コスメ通りへ。 若者で賑わっていた。 私は、中国人と間違われたらしく “ニーハオ”と声をかけられた。 ![]() (明洞(ミョンドン)コスメ通り) 20:00から貞洞(チョンドン)劇場で、韓国ミュージカル 美笑(ミソ)を観劇。 朝鮮王朝時代の宮廷での愛をテーマにした韓国の伝統芸術を2時間堪能した。 ![]() (韓国ミュージカルのパンフレット) 22:30、ホテルへ。 朝食・昼食・夕食は、鮑のお粥定食・石焼ビビンバ・プルコギ定食。
8:50、バスでホテルを出発、朝食後、ソウル市内観光へ。 14世紀に建てられた世界遺産 宗廟へ。 朝鮮王朝の歴代の王と王妃の神主を祀る建物である。 ![]() (世界遺産 宗廟の日本語での案内) 昼食(冷麺とチジミ)後、鳥頭山(オドゥサン)統一展望台へ。 1953年7月に設定された南北休戦ラインの漢江(ハンガン)と臨津江(イムジン河)の合流地点を望む標高118mの古代の城壁に建てられたものであり、展望台からは北朝鮮が一望できた。 ![]() (展望台より北朝鮮を望む) 鳥頭山(オドゥサン)統一展望台の見学を今回の旅の最後にして、 ソウルの仁川国際空港をアシアナ航空(ANA)で19:10に出発、20:50 関西国際空港へ到着した。 今回の旅行は、最近の韓国ドラマブームのお陰で、何処も日本からの観光客で溢れかえっていたが、全日程天候に恵まれて素晴しい旅を続けることが出来た。 稲田も木々の緑も日本と同じであり、違和感が無く、又 円と日本語で4日間通したため、全行程 国内旅行の気分であった。 しかし、キムチの辛さだけは最後まで慣れることが出来なかった。 |